【合格講座5回目】日本の世界遺産(中編)登録年1998年~2011年

合格講座

前回は「日本の世界遺産(前編)」ということで、姫路城や厳島神社など8つの登録遺産について解説しました。それぞれの特徴や重要キーワードに注目し、復習してみてください。

 

 

今回は合格講座の5回目ということで、引き続き日本にある世界遺産(23件)のうち、登録年が1998年から2011年のものを8つ紹介していきます。

 

いずれも魅力的な世界遺産ばかりですので、旅行先の参考にするつもりで楽しみながら学んでいきましょう。

 

【合格講座5回目】日本の世界遺産(中編)登録年1998年~2011年

古都奈良の文化財

登録名 古都奈良の文化財
所属国 日本(奈良県)
登録年 1998年
登録基準 2・3・4・6
分類 文化遺産
キャッチフレーズ 天平文化が花開いた日本の古都(平城京)
関連する人物 聖武天皇・鑑真・桓武天皇
キーワード 平城京/天平文化/唐招提寺/薬師寺/東大寺/春日大社/興福寺
現在の奈良県奈良市に平城京が置かれたのが710年。その後、784年に長岡京に遷都されるまで都として栄えました。その後、長岡京遷都から10年後の794年にふたたび京都へ遷都されています。
唐の都(長安)をモデルとして作られ、国際色豊かで貴族的な天平文化が展開されました。平城宮跡や、大仏で有名な東大寺、そして春日大社興福寺など8資産が登録対象となっています。
東大寺は飢饉や疫病などの災難から国家の安寧を祈願するために、聖武天皇により建立されました。この当時は仏教の教えや信仰により国を治めるという「鎮護国家」という考えが広く浸透しているのがわかります。
また、唐の高僧である鑑真が海を渡って来日し、その教えを広めた唐招提寺も登録されています。
ちなみに奈良市には前編で説明した法隆寺地域の仏教建物建造物群も登録されていますが、あちらは7世紀~8世紀に栄えた飛鳥文化の時代であり、治世でいうと推古天皇や聖徳太子の時代です。奈良時代と飛鳥時代という時期の違いがありますので、きちんと整理しておきましょう。

法隆寺関連の登録遺産は飛鳥時代のものです。同じ奈良市であっても時期が違うので混乱しないようにしましょう。

 

1 平城京のもとで唐の影響を受けた国際色豊かな天平文化が展開された
2 登録されているのは8資産
(平城宮跡・薬師寺東大寺唐招提寺・元興寺・興福寺春日大社・春日山原生林)
3 人々の不安を解消し国家運営の安定を図るため、聖武天皇により東大寺が建立された
4 東大寺は校倉造りの正倉院のほか、南大門、法華堂などが見どころである
5 唐の高僧である鑑真を招き、修行の場として唐招提寺を開いた

 

日光の社寺

登録名 日光の社寺
所属国 日本(栃木県)
登録年 1999年
登録基準 1・4・6
分類 文化遺産
キャッチフレーズ 徳川家康を祀る清仏集合の聖地
関連する人物 勝道上人/天海大僧正/徳川家康/徳川家光
キーワード 神仏習合/神仏分離令/東照宮/二荒山神社/輪王寺/権現造り/陽明門
日本固有の神道と外国(大陸)から渡ってきた仏教の思想が調和することを神仏習合と言います。仏教の教えが、少しずつ日本用にカスタマイズされていくということですね。
この神仏習合の聖地と言われるのが、日光山でした。修験僧(山中で修業をして悟りを開こうとする人・山伏ともいったりします)であった勝道上人が開山したといわれています。
徳川家康の神霊を祀るために建造されましたが、黒衣の宰相と呼ばれた天海大僧正が主導したといわれています。3代将軍家光の時代には幕府も安定し、大改修を行ったことで権現造りの壮大な社殿群が整備されました。
明治政府による神仏分離令の影響で、社寺は本体である東照宮に加えて、二荒山神社、そして輪王寺に分離させられることになります。

神仏分離令とはその名の通り、神道と仏教の調和を認めず、神社から仏教色を排除する目的がありました。国家神道を推進していた明治政府にとって、仏教は弾圧の対象にすぎませんでした。

 

1 修行僧の勝道上人が開いた日光山は、神道と仏教が調和した神仏習合の聖地である
2 日光東照宮天海大僧正により、家康の神霊を祀るために建立したものである
3 三代将軍家光の時代に大改修を行い、権現造りによる社殿群が整えられた
4 明治時代の神仏分離令により、日光の社寺は3つに分離された
東照宮
二荒山神社…東照宮以外の神道関連の建造物群
輪王寺…東照宮以外の仏教関連の建造物群
5 日光東照宮の陽明門には、500以上の彫刻が施されている

 

琉球王国のグスク及び関連遺産群

登録名 琉球王国のグスク及び関連遺産群
所属国 日本(沖縄県)
登録年 2000年
登録基準 2・3・4
分類 文化遺産
キャッチフレーズ 琉球王国の栄華を今に伝える遺跡群
関連する人物 按司/護佐丸/中山王(尚巴志)/阿麻和利
キーワード グスク(城砦)/中継貿易/今帰仁村城跡/座喜味城跡/勝連城跡
2000年に開催された九州・沖縄サミット(先進国首脳会議)と同じ時期に、登録された琉球王国時代、もしくはそれ以前の分裂の時代(三山時代)の遺跡群です。
琉球王国が成立する以前は分裂の時代(北山・中山・南山)が長く続いていましたが、15世紀に中山王であった尚巴志が琉球を統一します。その後の琉球王国は大陸(明・清)と日本(薩摩藩)の影響を受けながらも地の利を生かして中継貿易で繁栄しますが、最終的には薩摩藩の侵攻をうけ、明治新政府に組み込まれました(琉球処分)。
琉球王国の都であった首里の国王の居城であった首里城は戦争で焼失し、その後復元されました。ただ残念なことに2019年に火災に見舞われ、再び消失しました。

配電盤がショートしたことが火災の原因とみられていますが、最終的な断定はされていません。スプリングら―が設置されていなかったことや建物が木造であったことなどから火の勢いが衰えず、消火活動が難航したと言われています。

1 沖縄県内各地に点在するグスク(城砦)と関連遺産が登録対象である
2 15世紀に中山王(尚巴志)が琉球を統一して琉球王国(首都は首里)が成立した
3 12世紀ごろから琉球各地の按司(豪族)がグスク跡を築いた
4 首里城は太平洋戦争の沖縄戦で焼失したが戦後に復元。2019件に火災で再び消失。
5 主な登録遺産
今帰仁城跡…北山王の拠点
座喜味城跡護佐丸の拠点
勝連城跡阿麻和利の拠点

 

紀伊山地の霊場と参詣道

登録名 紀伊山地の霊場と参詣道
所属国 日本(三重県・和歌山県・奈良県)
登録年 2004年(2016年に登録範囲拡大)
登録基準 2・3・4・6
分類 文化遺産(文化的景観)
キャッチフレーズ 日本で初めて文化的景観が認められた日本を代表する霊場
関連する人物 空海
キーワード 神仏習合/参詣道/熊野古道/金剛峯寺/熊野三山/熊野詣
「吉野・大峰」「熊野三山」「高野山」の3つの霊場とそこに至る参詣道が登録対象となっています。霊場にある建造物と自然環境が調和した景観に価値があると判断され、日本で初めて文化的景観が認められた世界遺産です。
ここでは、3つの霊場と3つの参詣道をセットで覚えることがポイントです。とはいえ、それぞれに共通する単語が入っているので、判断するのは簡単です。
吉野・大峰 = 大峰奥駈道
熊野三山  = 熊野古道
高野山   = 高野参詣道

吉野・大峰は修験道、熊野三山は神仏習合、高野山は密教の聖地としてそれぞれ発展しました。

 

1 日本で初めて文化的景観が認められた世界遺産である
2 2016年に参詣道を中心に登録範囲が拡大された
3 3つの霊場と参詣道(霊場を結ぶ道)が登録対象である
※吉野・大峰(修験道の聖地、金峯山寺などが有名)
熊野三山神仏習合により阿弥陀信仰や浄土信仰と結びついた)
※高野山(真言密教の聖地、空海が開いた金剛峯寺が中心)
4 3つの霊場と参詣道の関係
※吉野・大峰 = 大峰奥駈道
熊野三山  = 熊野古道
※高野山   = 高野参詣道
5 平安末期の末法思想を背景に、上流貴族の間で熊野詣が流行した

知床

登録名 知床
所属国 日本(北海道)
登録年 2005年
登録基準 6・9
分類 自然遺産
キャッチフレーズ 多様な生物に恵まれた北の大地
関連する人物
キーワード 季節海氷域/食物連鎖/ナショナルトラスト運動

知床は、季節海氷域がもたらす栄養分の循環によって生じる食物連鎖(植物プランクトンの大量発生)が、森・川・山と連続する貴重な生態系を作り出しています。

一言で知床といっても東側(羅臼)と西側(ウトロ)では気候が大きく異なるほか、東側では漁業が、西側では観光業が主な産業となっているなど、住民の営みも異なります

絶滅危惧種が多く生息することから、地元の自治体や民間団体が主体となって環境保護活動(ナショナルトラスト)を展開しています。実際に自然環境や歴史的価値のある土地を購入して開発を制限するなど、実効性のともなう運動となっています。

 

ナショナルトラスト運動は国内約50か所で運動が展開されていますが、世界遺産の中で対象となっているのは知床のみです。

 

1 知床は地球上でもっとも低緯度で海氷が凍る季節海水域である
2 豊かな海で展開される食物連鎖による貴重な生態系が評価されている
3 知床連山の東側(羅臼)と西側(ウトロ)では気候が大きく異なる
4 絶滅危惧種が多く生息しており、多様な生物の生息地である
5 豊かな自然を保護するためのナショナルトラスト運動が展開されている

石見銀山遺跡とその文化的景観

登録名 石見銀山遺跡とその文化的景観
所属国 日本(島根県)
登録年 2007年(2010年に登録範囲変更)
登録基準 2・3・5
分類 文化遺産(文化的景観)
キャッチフレーズ 世界の銀生産を担った産業遺産群
関連する人物 戦国大名(大内氏・毛利氏・尼子氏)/神屋寿禎
キーワード 間歩/産業遺産/灰吹法

 

紀伊山地の霊場と参詣道に続く国内2例目の文化的景観として登録されました。登録名にそのまま文化的景観と入っているので、わかりやすいですね。

17世紀のころ日本は世界の銀生産量の3分の1を占めるほどの一大生産地でした。そしてそのほとんどを担っていたのが、石見銀山です。

世界遺産には銀生産とのかかわりが強い「鉱山と鉱山町(間歩と呼ばれる手彫りの坑道が有名)」や、物資を運搬する「街道」、そして物資を他の地域に搬出入する「港と港町」がそれぞれ登録され、鉱山運営の全体像・歴史を示している点が産業遺産としても評価されています。

中国地方の有力大名であった大内氏が発見したとされる銀山ですが、その後は近隣の尼子氏毛利氏とも勢力圏をかけて争いました。

16世紀になると博多商人の神屋寿禎が、朝鮮半島から招いた技術者とともに考案した灰吹法という精錬法が導入され、銀の大量生産が可能になりました。江戸時代になると幕府の直轄地となり、貴重な財源の1つとして重要な役割を占めるようになります。

大正時代に休山となるまで、採掘が続けられました。

 

ジブリのアニメ映画「もののけ姫」に出てくる「 タタラ場」は、この石見銀山をモデルとしてイメージしたといわれています。

 

 

1   石見銀山は最盛期の17世紀には世界の銀産出量の3分の1を算出した
2   鉱山・鉱山街・街道・港町などの社会整備基盤が一体的に登録された
3 博多商人の神屋寿禎灰吹法を導入し、これにより銀の大量生産が実現した
4 江戸時代になると幕府の直轄地として重要な財源の1つとなった
5 産業遺産として評価されている

小笠原諸島

登録名 小笠原諸島
所属国 日本(東京都)
登録年 2011年
登録基準 9
分類 自然遺産
キャッチフレーズ 絶海の孤島で育まれた独自の生態系
関連する人物
キーワード 海洋性島弧/カタマイマイ属/適応放散/グリーンノアール

 

小笠原諸島は他の大陸と陸続きになったことがない海洋性島弧とよばれる島群です。そのため大陸の影響を受けていない固有の生態系を確認することができる貴重な存在です。

とくにカタマイマイ属などに代表される陸産貝類は、固有率が95%ともいわれています。異なる自然環境のための適応放散が活発で、現在も新種が発見されるなど、独特の生態系となっています。

近年は島の外から持ち込まれる動植物に対する対策が課題となっています。なかでも北米に生息するグリーンノアールというトカゲが島の固有種に与える影響が問題となっています。

 

島の成り立ちこそ違いますが、大陸と陸続きになっていないという点ではハワイやガラパゴス諸島と同じような特性をもっています。

 

1 ほかの大陸と陸続きであったことがない「海洋性島弧」である
2 地形の特性から固有の生態系を形成している
3 陸産貝類(カタマイマイ属など)の固有率は95%以上である
4 適応放散(単一の祖先から分化していくこと)の事例が数多くみられる
5 グリーンアノール(北米産のトカゲ)に代表される外来種の繁殖が課題である

平泉

登録名 平泉 -仏国土(浄土)を表す建築・庭園および考古学的遺跡群ー
所属国 日本(岩手県)
登録年 2011年
登録基準 2・4
分類 文化遺産
キャッチフレーズ 奥州藤原氏が築いた浄土信仰の理想郷
関連する人物 奥州藤原氏(清衡・基衡・秀衡・泰衡)/松尾芭蕉
キーワード 浄土思想/中尊寺(金色堂)/毛越寺/浄土庭園/金鶏山/奥の細道

 

平安時代末期、西国で源氏と平氏が争っている最中、奥州の地では藤原氏が勢力を拡大していました。そしてその拠点となった平泉は、浄土思想に基づく仏教文化の中心地でした。

登録遺産の1つである中尊寺は天台宗の寺院として開山されましたが、初代清衡が再興しました。寺院の中にある金色堂(仏堂)は極楽浄土を表現していると言われています。

毛越寺は2代基衡が再興した寺院で広大な浄土庭園が現存していますが、建造物群は戦火によって焼失してしまっています。

松尾芭蕉の紀行である「奥の細道」に登場する金鶏山(平泉の西側に位置)も構成遺産となっており、また国の名勝にも指定されています。

藤原氏は初代清衡から基衡・秀衡・泰衡と4代100年にわたって繁栄しましたが、最終的には源氏(源頼朝)に滅ぼされました。

 

源頼朝の弟、義経が平泉で最後を迎えたのは有名な話です。

 

1 平泉は奥州藤原氏の拠点であり、浄土思想に基づく仏教文化の中心地であった
2 初代清衡が再興した中尊寺は、金色堂と呼ばれる仏堂が有名である
3 2代基衡が再興した毛越寺は、建造物は焼失し広大な浄土庭園のみが残っている
4 平泉の西側に位置する金鶏山は、松尾芭蕉「奥の細道」にも登場するシンボルである
5 登録範囲の変更(周辺遺跡への拡大)を求めて暫定リストに登録されている

まとめ

5回目の講座はいかがだったでしょうか。今回の講義で日本にある世界遺産(全23件)のうち、16件については解説がおわりました。

おぼえるべき内容も多くなってきていてしんどく感じることもあるかもしれませんが、少しずつ確実に知識を増やしていきましょう。

 

最後にまとめということで、簡単に今回の講義を復習します

 

・奈良では、平城宮跡・薬師寺・東大寺・唐招提寺などが構成遺産として登録されている
勝道上人が開いた日光山は、神道と仏教が調和した神仏習合の聖地である
・琉球王国は三山時代を経て統一され、中継貿易の場としてとして繁栄した
紀伊山地の霊場と参詣道日本で初めて文化的景観が認められた世界遺産である
季節海水域食物連鎖が活発な知床では、ナショナルトラスト運動が展開されている
・石見銀山は文化的景観として認められたほか、産業遺産としても評価されている
海洋性島弧の特徴を持つ小笠原諸島は、固有種の動植物が独自の生態系を形成している
奥州藤原氏の拠点となった平泉では浄土思想に基づく仏教文化が花開いた

 

 

次回は国内で登録されている残りの世界遺産を紹介します。また補足として「暫定リスト」として登録されているものについても確認していきます。

 

 

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